ニートのようなもの

ほぼニート、ほぼ無職、ときどきアフィリエイター

時間があればという人は一生時間のないまま

最近は検索エンジン向けに記事を書くのが飽きてきた。

ということで思いつくままブログを立ち上げてみるものの…

どうも気が乗らない。

「時間があれば上手くいくのに」と思っていた忙しきフリーター時代はどこに行ってしまったのやら。

 

「時間があれば…」

と言っているうちはやはり成功しない。

時間がないのは言い訳に過ぎないのだから。

時間があれば成功すると思っていた私こそがなにより証拠。

理想とは程遠いくらいにサボってしまっている。

 

「成功するためには」

成功ってなによ。

ってことであれば私にとってそれはお金を稼ぐこと。

じゃあお金を稼ぐにはどうすればいいか。

それは多大なる時間をかけるしかない。

世の中には1万時間の法則という言葉もあるとおりやはり時間をかけずに何かを成し遂げるのは不可能だ。

その人が成功しなかったのは単に時間をかけられなかっただけ。

時間さえかけられれば大抵のことはうまくいくだろう。

 

「時間をかけるのは難しい」

でもこの時間をかけるというのが簡単なように思えて実に難しい。

まず第一に好きなことじゃないと時間をかけられない。

第二に飽きる。

第三に今の生活で精一杯。

生活を変えたいと思っている人は大体3でつまずく。

生活を変えたいのにもかかわらず現状維持という保険をかける。

ハッキリ言ってそんなんで生活を変えるのは不可能だ。

古代エジプトではより大きなピラミッドを建てるためには一度土台を壊す必要があったそうな。

それと一緒で今よりいい状況を望むなら確実に土台の破壊が必要だ。

現状維持なんか保険に過ぎない。

保険というのはいつも高くつく。

 

「時間の作り方」

土台破壊する上で睡眠時間を削る人がいるが個人的にはおすすめできない。

もちろんショートスリーパーなら話は別だが、体調を崩してしまっては元も子もないのだから。

ではどうやって時間を作るのかというと、なにかを諦めるしかない。

私の場合は楽しい楽しい飲み会も控えたし、楽しい楽しいゲームだって辞めた。もちろんポケモンGOなんて一切やっていない。

諦められるのはほかにもまだまだあるはず。

仕事をサボって副業で成功している人だっているのだから。

 

「時間があればという人は」

時間を作り出すことが上手い人は継続もできる。

継続できる人はいわば、継続しやすい環境を作るのが上手いのだ。

時間さえできれば誰だってある程度は継続できるだろう。

それなのになぜ、こんなにまで挫折してしまう人が多いのだろうか。

それは時間を作り出すのが下手だからだ。

言い訳ばかりして、時間を生み出そうとしない。

そこでいつもの決めゼリフ。

「時間さえあれば」

これはこの世にドラゴンボールの「精神と時の部屋」があればなといっているようなもの。

時間はあるかないかじゃなくて自分で作るかどうかだ。

時間があればという人は一生時間を追い求めて死んでいくのだろう。

 

「時間があってもなくても」

いま、わたしはほぼニートのようなもの。

時間はめちゃくちゃある。にもかかわらず作業時間はフリーター時代とあまり変わらない。

原因はサボりだ。

時間があればあるほどサボってしまう。

それが人間というもの。

ということで時間があろうとなかろうと基本的には成功には繋がらない。

しかも時間があればというような言い訳をする人に限ってサボりがちな傾向があるように思える。

成功するには多大なる時間が必要。

けど多くの人はそもそも時間を作り出せないし、頑張って作ったとしても結局サボってしまう。

これが挫折者の多い所以だろう。

結局、好きでやっている人がいちばん強いんだ。

あぁまたこんなこと書いてサボってしまった。